大間野町は草加市との市境に位置し、春日部との市境に位置するせんげん台とは、国道4号線の越谷最南端と最北端との関係になります。風はそこそこありましたが、さほど疲れを感じずに、現地に到着できました。
以前訪れた旧東方村中村家住宅と同様、入館料は100円でした。滞在中は、他に訪問者は誰もおらず、市の職員の方からマンツーマンで施設の案内をして頂けました。
この建物は、旧東方村中村家住宅とは違って、移築したものではなく、もともとこの場所にあったものを市が譲り受けて保存をしているとのことでした。武士の身分のない名主の住居とのことですが、門や主家はまるで武家の屋敷のようです。ただ、いずれの建物も明治以降のものとのことで、この点においても江戸時代の建物である旧東方村中村家住宅とは違うようです。
まずは、受付のある主家から入りました。こちらは大正3年築とのことです。柱や梁は、現在では入手できないような立派なものでした。大正時代の建物ということもあり、かまどはレンガ造りでした。市が譲り受けるまでは住居として使われていたようで、かまどのある土間も現代風にコンクリート敷きとなっていたそうですが、譲り受け後に土間とかまどを復元したとのことでした。
主屋には、身分の高い人を応接する書院造の奥座敷があり、また、奥座敷へ案内する人が利用する式台付玄関も用意されています。式台付玄関の方から見えるふすまの引手は七宝焼のもので、手が込んでいます。奥座敷とその手前の座敷へは、かつては子どもたちは入れてもらえなかったそうです。
主屋の裏には、明治27年築の土蔵がありました。入口の黒い扉はてっきり鉄製かと思っていましたが、土で作ったものを黒漆喰で固めたものとのこと。火災には強いそうですが、衝撃には弱いとのことで、実際、何か所か割れた跡が見られました。最も補修が大変な建物であったとのことですが、とてもきれいに整備されていました。
本来の正門になる長屋門は、明治19年築とのこと。住居を兼ねた門であることから長屋門というそうです。武家屋敷では、警備の者たちが待機しているところですよね。現在では、手動のポンプ車などが展示されていますが、もともと備わっていたものではないそうです。長屋門の漆喰は白色ではなく、鼠漆喰と呼ばれる灰色のものです。
長屋門の隣には、石造りの蔵がありました。こちらは昭和になって作られたものとのこと。備蓄するコメが湿気を帯びないように、壁にすのこのような木枠が取り付けられていました。また、古い自転車も展示されていました。
係りの方にしっかり説明していただけたので、見るべきところを理解しながら見学できました。現地で頂いたパンフレットはこちら。
今日の走行距離は約17kmとなりました。
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