今日の日中は、お天気が良すぎてポタリング日和とは言えない状況でしたので、記事作成の時間としました。
間にいくつかの記事を挟んでしまいましたが、7月10日付の記事の続きとなる投稿です。第二部となる今回は、草加松原から草加市内中心部に足を延ばします。
草加宿方向に向かう前に、札場河岸公園を綾瀬川沿いにもう少し進みました。すると、「甚左衛門堰」という二連アーチ型のレンガ造りの水門がありました。現在は使われていないそうですが、明治時代に作られたものだそうで、埼玉県の指定文化財になっています。
札場河岸公園を望楼まで戻り、旧日光街道沿いに進みます。伝右川を渡るとすぐに「おせん公園」という公園があり、「草加せんべい発祥の地」と彫られた大きな石がありました。旧日光街道を挟んで向かい側には、松尾芭蕉の奥州・北陸の旅に同行した弟子である河合曾良の像がありました。
旧日光街道をさらに進み、草加駅に向かいました。高架式の近代的な駅で、駅前には大きな商業施設が立ち並んでいます。
続いて、東武スカイツリーラインの高架線を潜り、駅の西口側にある草加神社にお参りに行きました。まだ、社務所が開く前の時間に行きましたが、お参りされている方の姿がありました。写真を撮るのを忘れたのですが、SLも展示されていました。札場河岸公園の望楼にて、いくつか草加の観光パンフレットを頂いたのですが、この草加神社を紹介するものがないんですよねぇ。なぜかなぁ、たまたまかぁ。
帰路は草加駅東口から歴史散策路沿いを進み、ちょうど開館時刻になっていた歴史民俗資料館に立ち寄りました。埼玉県初の鉄筋コンクリート造りの草加小学校西校舎を改修したものだそうです。受付で、県民かどうか、市民かどうかを記載すれば、無料で入館でき、草加の歴史を学ぶことができます。
次は、草加宿の開宿に尽力した大川図書(おおかわずしょ)が創建したという東福寺に寄りました。こちらには大川図書の墓もあり、案内に従ってお墓を探してみました。案内が十分でなく少々分かりづらかったですが、東武スカイツリーラインの高架のすぐ近くに「俗名 大川圖書」と書かれたお墓を見つけることができました。周りには大川家の墓がありましたので、今でも草加界隈に子孫がお住まいなのでしょうね。でも、大川図書さんも、まさか電車の走行音を聞きながら眠ることになるとは思っていなかったでしょうね。
東福寺からは、寄り道をすることなく、せんげん台まで戻りました。第一部、第二部で紹介した全行程で走行距離は32kmでした。
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