サイト「せんげん台発 自転車散歩」

東武スカイツリーラインの沿線のせんげん台を起点として、週末サイクリストが行っている自転車散歩(ポタリング)を紹介するブログです。その時々の季節を感じられる場所へ出かけるのが好きです。行動範囲は、越谷市、さいたま市、春日部市が中心です。でも時々、レンタルサイクルを活用して、全く異なるところを起点とした自転車散歩を行うことも…。記事を通じて、ポタリングに出かけた気分になってくださいね。

This blog presents you cycling reports started out from Sengendai on the Tobu railway’s Sky-Tree Line by a weekend cyclist. However sometimes, a rental bicycle makes me change starting place of my cycling. I prefer to visit places where I'm able to feel four seasons. Please feel as if you were going out for cycling through posted articles.

2017年9月3日日曜日

大聖寺の秘仏本尊不動明王酉年御開帳

Daisho-ji temple in Koshigaya-city discloses its secret Cetaka every twelve years. At the same time, the temple also discloses its hidden treasures, Tokugawa Shogun's sword and gown. Today, I went to  the temple to see them by bicycle.

日差しが出た今日は、大聖寺(大相模不動尊)で12年に一度、酉年に行われる御本尊不動明王の御開帳があるとの情報を得ましたので、拝観すべく自転車散歩に出かけました。

県道115号線(越谷八潮線)を南下し、しらこばと橋の直前で左折してすぐの人道橋を使って対岸に渡り、元荒川沿いの自転車歩行者専用道路で不動橋を目指します。

大相模地蔵堂の側(東側)から大聖寺の境内に入ると、お神輿がすぐ目に入りました。

本堂正面には回向柱(角塔婆)が立てられ、本堂、さらには御本尊と五色の帯で結ばれていました。回向柱には「南無大聖不動明王 乃至法界 平等利益 維持 平成廿九丁酉年九月吉日建之 山主敬白」と記載されていました。


本堂正面に、今回のご開帳の案内が掲載されていました。記載内容を一部抜粋しますね。
「秘仏本尊不動明王 酉年御開帳 9月1日~12月28日まで
 かの徳川家康公が天下分け目の関ケ原の合戦の前に祈願を捧げた伝説の不動明王が拝観できる12年に一度しか巡ってこない機会です。ぜひ、ご参拝ください。
 御開帳特別護摩祈願厳修 9月1日~7日
 徳川家康公戦勝祈願の本尊様の御前においてご祈願致します、祈願後間近で秘仏参拝可。家康公の寝具、奉納刀他、寺宝公開につき見学可。」

ちょうど15時からの護摩祈願厳修が始まるところでしたので、本堂に上がり護摩祈願の様子を見させていただきました。お寺の中は、有難いことに、御本尊を含め写真撮影が可能(フラッシュ禁止)との案内がありましたので、撮影をさせていただきました。


護摩が焚かれる中、ご住職ほか2名の僧侶による読経が15分ほどあり、その後ご住職から、御本尊やお寺の由来、寺宝についての説明がありました。以下、記憶しているご住職の説明をもとに記載します。

まずは、秘仏の御本尊様です。普段は、厨子の扉が閉ざされ、住職も見られないとのこと。今日は、厨子の扉が開けられ、本堂前の回向柱から延びる五色の帯が、ご本尊に結ばれていました。

この御本尊は、奈良東大寺の大仏造営のための資金や人足集めをしていた良弁僧正が作成したものとのこと。良弁僧正が地元の相模の国の大山(おおやま)にて修行に励んでいると、厳しい顔をしている不動明王が穏やかな表情で現れたそうです。その姿をもとに、1本の木から2つの不動明王像を自ら彫ったとのこと。そして、そのうち木の先端部分から彫り出された不動明王を地元の大山(おおやま)に安置し、根元部分から彫り出された不動明王を侍者に背負わせて関東を行脚していたそうです。途中、清らかな川にて身を清めていると、不動明王が岩のように重くなり、その地が気に入ったように思われたとのこと。そこで、良弁僧正が不動明王に、「この地が気に入ったのであれば教えてほしい」旨を問うたところ、今度は、不動明王が羽毛の如く空を舞ったそうで、その地に不動明王を安置することとしたそうです。この「清らかな川」が、大聖寺のすぐ北側を流れる現在の元荒川とのこと。大聖寺のある町名が「相模町」であるのも、もう一体の不動明王が安置された相模の国にちなんだものだそうです。

厨子の向かって右側にも別の不動明王が立っています。御本尊の前に置かれる不動明王なので御前立不動明王と呼ばれているそうです。普段は、この不動明王も御本尊とともに厨子の中に納められているそうですが、かつては厨子の前に置かれていたそうです。平安時代に作られたものとの説明がありました。

厨子の向かって左側には三体目の不動明王が立っています。こちらは、関東大震災で被災した大聖寺を再建した際に納められたとのことで、昭和の初めの作だそうです。現在では、この不動明王が扉の閉ざされた厨子の前に置かれ、御前立不動明王と呼ばれているそうです。

続いて、ご住職の案内のもと、寺宝を見させていただきました。

まずは、徳川家康公が奉納した太刀です。


上杉討伐のため会津を目指していた家康が、途中、小山にて石田三成の挙兵を知り、江戸城に引き返す折、台風に遭遇したため、大聖寺に宿泊したとのこと。その際、太刀を御本尊の前に置いて戦勝祈願を行ったところ、揺れが起きて太刀が西側に倒れ落ちたそうです。これを見た家康が、西側が倒れ落ちる、すなわち西側の軍が負けることを示すものと喜んだそうです。史実が示す通り、家康は関ケ原の合戦に勝利し、その後、大聖寺は家康に大切にされたそうです。ご住職曰く、このエピソードが大河ドラマなどに登場しないのが残念とのこと。

つぎは、家康公が着て寝たという寝具です。

日本人が四角い布団で寝るようになったのは江戸中期以降とのことで、それまでは、この着物のような寝具を着て寝ていたそうです。現代の人が着るには、少し小さいように思えました。胸のあたりに葵の紋が見えます。

ちなみに、普段から公開されている宝物殿ものぞいてみました。
こちらには、寝具の写真と太刀のレプリカがありました。写真の寝具は、本物とはだいぶ色が違っており、質感もわかりません。

本堂の入口上にある七福神も、今回のご開帳に合わせて補修されたとの説明がありましたので、撮影しました。

拝観後、大聖寺境内にある虹屋さんに寄ってみましたが、団子が完売して閉店していたため、素直に帰宅することに。

今日の走行距離は18km弱でした。越谷の歴史を、また一つ知った1日となりました。

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